正しくあれば愛されるという葛藤のパターン
自分の繰り返し起こるパターンとは何か?
その一つのパターンを作っているのは「期待」です。
親は子供に正しさを認識させる
例えば、子供の頃、あらゆることから自由で創造性に満ちていた時。
その子供の描く絵というのはインスピレーションに満ちた独特な絵を書きます。
どこでも見たことのないような幻想的とも、アートとも言えるような、独特の絵を自由に描きます。
しかし、それを見た親は子供に言います。
「絵というのはこうやって描くのよ。」
「上手い絵というものはこういうものよ。」
親は子供に、自分の価値観、社会の価値観を正しいこととして認識させていきます。
子供は親に認められないと生きられない
子供というのは、肉体的に動物的にとても弱い存在です。
一人では生物として生き残ることができません。
自分一人では食料にありつけません。住む場所も得られません。
「親という存在に認められない」と生きることができないと本能的に知っています。
親に認められる為に、生きる為に一生懸命になります。
親に認められるために自分を修正していく子供
絵の話に戻ります。
独特な描写、色彩など個性的な絵を描いていた子供は、親からの指摘に対して一生懸命修正していきます。
親に認められるため、親を喜ばせるために修正していきます。
それは食事や住む場所にありつくためです。
そして子供は親の”正しさ”を植え付けられていきます。
それは社会や親の正しさであって、子供の正しさではありません。
しかし、子供は親の価値観に対して自分は正しくあろうとします。
そうやって、自分本来の願望や生き方、個性、やりたかったことが、”親の正しさ”によってどんどん見えなくなっていきます。
親に愛されることを優先するがあまり、だんだんと本来のピュアな自分を見失っていくのです。
それがゆくゆく葛藤の原因となります。
正しくあれば愛されるというパターン
正しくあれば愛される。
それは職場でも、恋愛でも繰り返し繰り広げられます。
親との関係性は、そのルールに従って、その後ずっと続く繰り返されるパターンとして自分の中に残ります。
常に正しくあらねばいけないという信念です。
正しくなければ生きられないという信念です。
正しくあれば得たいものが得られるだろうという”期待”です。
それは自分が作り出したパターンです。
しかし、正しくあったのだけど得たいものが得られない時に人は葛藤を生みます。
期待が裏切られた時に怒り、悲しみ、傷つきます。
自分は何が本当に欲しいのか
その期待や正しさが植え付けられたものだと知ることから始めていのがベターだと思います。
本当に欲しいものを知らない時に、
「植え付けられた価値観」と「本来自分が持っている潜在的な価値観」
その2つの価値観が潜在意識で闘いを始めます。
自分と自分がレスリングをして闘っているようなものです。
「自分は何が本当に欲しいのか?」
それに正直になってしまったら、親を社会を身近な人を裏切る・否定することになってしまうのではないか?
自己中心的な身勝手な行為なのではないか?
しかし、自分で自分を傷つけ続けることも、ある種身勝手な行為です。
生まれてきた時のピュアな自分の無限の可能性を生きることが何より真摯な生き方だと思います。
常にベストな自分を瞬間瞬間生きていきましょう。