インドで、最大の聖地は『自分』だという事にアカシック で気づく
目次
自分自身をどれだけ尊重できるかが鍵
皆さん自分の存在をどれだけ尊重できていますか?
“傲慢さ”とは全く異なった、”尊重”という意味をどれだけ感じられますか?
自分という存在を一番知っているのはあなたですし、自分という人間を一番ヘルプしてあげられるのもあなたです。
自分の人生というストーリーの操縦をどれだけ主体的に行えていますでしょうか。
日本人の謙虚さというものを勘違い
まず個人の問題というより、社会的な意識として日本人の集合意識の美徳とされる謙虚さというものを勘違いして受け取ってしまっているんじゃないかと思います。
「出しゃばるのは良くない。」
「親の言うことを良く聞きなさい。」
「先生の言うことを良く聞きなさい。」
「他人の意見を良く聞きなさい。」
「常識的に見てどうなの?」
こんな声が聞こえてきたりしませんか?
また、あれだけ自分が言われて嫌だったものを、人に言ってしまっていたりしませんか?
でも、あんまり「自分の声を よく聞きなさい」って言ってくれませんよね。。。
アカシックレコードリーディングのセッションに来られるクライアント様も
「自分は馬鹿だ」
「自分は間違っている」
といって、そうじゃないのにいつも”自己批判で解決をはかっている”方々が多かったりするのも事実です。
そうやって”社会の常識と言われるもの”と”自分の直感”との狭間で葛藤し、苦悩している人が本当にとても多いのです。
自分が国内外の聖地に求めていたもの
さて、ここからは私の話です。
20才くらいの頃、自分は自己価値が低く、コンプレックスや人生を変えたいという焦りの中、頻繁に旅に出ることとなります。
今思うと、外側の何かが自分を目覚めさせてくれるんじゃないかということを期待していました。
国内を青春18切符で旅をして、(まだパワースポットという言葉自体がなかった頃ですが)訪れた場所を見ると今ではパワースポットと呼ばれている場所がほとんどでした。
その後、海外に特にインドへ修行の旅に出ることとなります。
何かが変わるんじゃないか、何かを変えなくてはいけないと思い、必死でした。
インドの聖地でわかったこと
2014年インドのティルバンナマライというラマナ・マハリシという聖者の街で修行していた時のことです。
インドでアシュラム(修行場)に入り、泊まりがけで朝から晩まで瞑想などを行なっていました。
そんな時に、ふと「ピーン!」と気づくことがありました。
この直感と繋がる感覚はまさにアカシックレコードと繋がる感覚でした。
その時のアカシックと繋がる感覚的には、確かこんな感じだったかと・・・
「なんかすごく自分は無理をして頑張っているなぁ。修行をいつまで頑張り続けるんだろうか。もう十分じゃないか」
「そういえば今まで、自分よりも輝く聖地を探し求めていたな。」
「ん?聖地という崇高な場所に行くことで、自分を見つけたかっただけなんじゃないか。」
「『聖地を探し・目指した』事は、自分の中の聖なる部分へのアクセスだった。」・・・
「みんな それぞれが聖なるもので、それぞれが”自分”という大切な聖地なんだ。」
いつまでも外側に何かを求めても終わりがないということがわかってきたのです。
聖地、下暗し!!という発見。
今まで自分の外側に何か目覚めさせてくれるものを求めていましたが、内側の自分自身も聖なるものなんじゃないかという気づき。
こんなに近くにいたのに気づかないなんて!!
めがねめがね状態です。
今思うと聖なるものを探していたのは、内なる自分とその共鳴するものを促していただけだったと思います。
そう思えた時に、自分の人生に自分で感動できた
いろんなことがあったけど、順調じゃなかったけど、その都度その都度必死にもがいて、頑張ってきた自分の人生が愛おしくなってきました。
だって同級生の方ならわかると思いますが、給食のカレーが食べられなかった自分が、インドの修行場で施される床に置かれたカレーを手で食べているんです(笑)!
ひ弱だった自分が一人インドに来てこうやってチャレンジしている姿に「 俺も良くやるよなぁ〜」って感心したり、時には苦笑いして呆れたり、でも自分の歩んで来た道を尊重できるんです。
自分と二人きりになってを確かめる
だからと言って何もインドに行く必要もないし、朝から晩まで泊まり込みで修行を行う必要もないです(笑)
自分で自分をケアしてあげてください。自分の感覚を感じて見てください。
それにアプローチする有効な手段は瞑想だったり、呼吸法だったり、ヨガだったりします。
でも、そう言った習慣がないならエンジョイできるスポーツやダンスだったり、ジョギングだったり・・・と言った手段があります。
ポイントは、それらを通して”自分”と二人っきりになることです。
その中で自分を観察してみてください。
自分自身のアカシックレコードとつながる体験は貴重です。
それが自分の旅に出る理由です。
それを私は「ポータブル聖地」と呼んでみる
なんて偉そうなことを書きましたが、「自分」は切り離すことのできない存在です。
いつまでたっても付いて来ます!(笑) 決して離れてくれません。
でも、そうやって今までの人生を常に一緒に歩んできたじゃないですか。
嫌なこともたくさんあったし、悲しいこともあったし、傷ついたし、でもその度に必死にもがいて、ここまでやってきじゃないですか。
誰にもわかってもらえない時もあったけど、それでもなんとか歩んできましたよね。
そんな自分を誇りに思っていいと思うんです。
結局、自分の聖地は自分自身だったりします。
それを私はポータブル聖地と呼んでみます。
さぁ、この記事に「自分」というワードは何回出てきたでしょうか?(笑)